12月16日 沖縄100キロウルトラマラソン


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12月16日、沖縄で開催された沖縄100キロウルトラマラソン走って来ました。

 15日(土)、気温2度の愛知から7時40分の中部国際空港発の飛行機で気温21度の沖縄へ。
 今回はかーちゃんと3泊4日の旅RUNなのでレンタカーで移動。ナビに「沖縄アウトレットモールあしびな」と入力したがなぜか瀬長島経由で案内される。強めの「右です」とのナビの指示に従い進むと、那覇空港へ着陸する飛行機が上空を通る瀬長島を1周。駐車場に車を停めてきれいな海を撮影しました。走っているランナーもたくさんいました。

 その後、目的地の沖縄アウトレットモールあしびなへ。沖縄らしい服がたくさんありましたが、楽風(らふ)というお店でソーキそばセット、ステーキそば食べながらレンタカーショップでいただいた観光案内をみながら計画を立てる。

まず向かったのは沖縄ワールド。入場してすぐ玉泉洞へ。全長5000m、100万本以上の国内最大級の鍾乳洞、青の泉や白銀のオーロラなどとても幻想的でした。みがわり観音様に「明日の沖縄100キロ完走できますように」とお願いし右ひざをさすらせていただきました。(セカンドベストの記録はこのおかげでしょう。みがわり観音様、「痛てっ」って言ってなければいいけど…)

熱帯フルーツ園でソフトを食べエイサー広場へ、14時30分からのスーパーエイサー公演を観劇。男性1人、女性6人くらいの真南風舞隊が登場、迫力のある太鼓の演舞、小老人とシーサーのコミカルなショーなど、とても興奮し、いっぱいのパワー・元気をいただきました。



景色・ロケーションは最高だがアップダウンの激しいコース

瀬長島の海

アウトレットモールあしびなでソーキそばセット

沖縄ワールドへ

気温21度 晴天

玉泉洞

かーちゃんの携帯で撮影

スーパーエイサー

パワーいただきました

 その後、宿泊先のユインチホテル南城へ。ここで2泊だが、初日は素泊り(朝3時40分出発なので)。隣にある温泉「猿人の湯」で疲れを癒し、ソースかつ定食、沖縄そばセットで夕食をすます。

 朝食は近くにあったコンビニで購入したカニカマなどのお寿司、お餅入りのカップうどん、チキンローストなど。前日、土砂が強硬投入された辺野古の写真がのる沖縄新報を購入。ホテルに戻りラインで「沖縄にいます」と写真を送付した。

部屋でゼッケンの準備。後ろゼッケンは目標タイム、メッセージが書き込める。目標時間12時間と「RUNも辺野古もあきらめない」、「命の海守れ、あきらめないぞ」と書き込んだ。「これでリタイアはできないぞ!、坂も歩かず100キロ完走するぞ!」と決意。

9時就寝、2時55分起床、3時40分出発、車で与那古浜公園へ。


RUNも辺野古もあきらめない

出発の朝はテンション低めでした


【レースプランとレース前の準備

50キロまではキロ6ペース、後半の50キロはキロ7ペースで走るプラン。
 休憩含むと11時間10分くらいのタイム設定。

フル以上のロング走はできていないが、9月と10月下旬にフルマラソン、11月はリレーマラソン用にスピード重視、12月に入って5分30秒ペースで31キロ走、朝飯前の脂肪燃焼RUNをこなし、1週間前は5分40秒で90分RUN、翌日にキロ7の帰宅RUNで19キロと調整、その後は仕事の忙しさで3キロしか走れなかったが、1週間の酒だちと4日のコーヒーだちもきちんと実施した(両方ともちょうど在庫なしでした)。

金曜日から頭痛がひどくなり痛み止めを飲む、予定していたヒートショックプロテイン入浴法は回避した。

ランスマの四万十100キロで言われていた、足にやさしいRUN、胃を揺らさない上下動の少ないRUNを意識、ウオークマンのプレイリストはコブクロをやめ昨年使用した100キロRUN用(2時間)に。

【プレイリスト】
42.195km、前前前世、メリッサ、R.Y.U.S.E.I、光るなら、オトノナルホウヘ→、恋はヒラひらり、クロノス、明日も、SNOW SOUND、Run Away、TOKYO GIRL、FLASH、We are、Good Luck、WOW WAR TONGHT、愛をちょうだい、MR.TAXI、Gee、夢の終わり愛の始まり、チェリー、友よ、Dancing On The Fire、愛をからだに吹き込んで、-RPG-、Emotions       

 
7キロくらい 5:40ペースで暗い道を疾走

幻想的な日の出!写真ストップし願掛け。


 4時駐車場到着。会場まで徒歩5分ほど、ペンライトが配布されている。日の出までの2時間ちょっとはこれが必需品だ。12時間以内のプラカートに並ぶ。

少しだらだらな開会のあいさつ後、5時スタート。日の上がらない中をライト照らしほぼ2列で走る。周りはキロ5:40くらいのペースで気持ちよく走れるが、ポールや木など障害物が多数あり危ない。集中しながら走る。

7キロくらいでかーちゃんが応援に来ていた。5時にホテルから真っ暗な中を歩いてコースまで来ていたそう。エールはもらったが止まることもなく走りぬけた。

 0− 5キロ 29:11

 5−10キロ 28:54


 7.5キロが第1給水。走りやすい気温だったが、汗も出ていてすでにノドも乾いていた。これ以降も前半すべてのエイドでしっかり給水を取る。

10−15キロ 29:11 

 15キロ知念岬 まだ暗く写真も撮らずに走り続ける

 海岸線の砂浜を走る、不思議な形をした岩も撮影

15−20キロ 27:43  20キロ計測 1:54:45 給水所前にショッツ投入 

20−25 27:47 

 7時16分 24キロ地点で日の出撮影

25−30 27:36 

 奥武島1周するコースだったがあまり覚えていない。アップダウンもあったような…。目の前でランナーが転倒。車道から歩道に上がろうとしたときに足がひっかかったよう。

30−35 29:53 

 30キロ過ぎのエイド ATHLETEQ10(試供品)

35−40 25:42 40キロ計測 1:50:58

平和記念公園、ひめゆりの塔近くを走る。フルサブ4ペースで走れている。

ここまで100キロのプレイリストを聞きながらのRUN。気持ちが高揚する曲のセレクトがGood!


50キロ糸満市役所エイド


オレンジムース


40−45 30:23 フルを過ぎてからペースダウン 

 目標11時間とゼッケンに書いていた東京の女性ランナーにおいていかれる。彼女は10時間38分でゴールしていた。

 何かにつまづき転びそうになる。結局私は4回つまづいたがいずれも踏ん張ることができ転ばずにすんだ。集中力がなくなる後半55キロ過ぎでも目の前でランナーが転んでいた

45-50 32:04 50キロ計測 1:02:27 糸満市役所レストステーション

女子中学生?が到着するランナーのゼッケン番号を読み上げ、預けた荷物を用意してくれていた。かなりの脱水。ここで水5杯飲む、エイドのコーンスープ、オレンジムース、。、持参のザバスを補給、足にエアーサロンパスを噴射し、痛み止め、胃薬を投入した。

少し横になってかーちゃんに電話、バスに乗れずホテルにまだいるとのことだった。後半用のジェルをポーチに入れ、ウオークマンはドロップバックに収納した。トイレをすましさあ後半戦。

(16:51) 休憩

50キロを4時間48分37秒とキロ6ペースから貯金を作って走る。後半50キロはキロ7で走り切り10時間50分でのゴールを目指す。

 

79キロでかーちゃん発見

応援力にあと21キロ

ニライカナイ橋

最高の景色に感動

サブ11達成!

 ところどころ雲はあるが抜けるような晴天。空と海の青がとても美しい。沖縄の海の青は、4年前にサロマでみたオホーツク海の青とはまったく違う色だ。このロケーションで走れていることに感動していた。

しかし、気温は25度を超えウルトラマラソンには過酷な状況となる。加えて坂ばかりの後半戦は1回おきの給水所で水被りすることに。
 エイドではペットボトルに水被り用の冷たい水が用意されていた。イスが4脚ほど用意されていて、その都度座ってメガネ、帽子をとり、頭、首、腕に冷たい水をかける。生き返るウ〜。エイドではそれぞれ1分ほどロスとなる。

50−55 33:43

 コースの反対側からも声援、反対車線のエイドも車線を越えて給水を差し出して渡してくれる高校生

55−60 33:46  60キロ計測 1:24:20(休憩含む)  ショッツ投入

60−65 34:50

63キロ過ぎ、このあたりから信号ストップもあり。信号ストップで先行された女性ランナー私設のエイドの氷に気づく。くちにはいりきらない氷を2個手にしてしゃぶりながら走る。ここまで2杯ずつ給水してもおさまらなかったノドの渇きが、氷をなめながら走ることで癒されてきた。これが後半の走る力になりました。

65−70 36:41

 後半はアップダウンのある山側を走るコースになっている 歩き出すランナーも多数。このあたりで足が売り切れ失速する人やリタイヤする人が続出。月曜日のキロ7分の帰宅RUNの成果か坂も気にせず淡々と走り続ける

70−75 36:23

 信号ストップで私の「RUNも辺野古もあきらめない」を見た太鼓をたたいて応援していた方から檄。「愛知からありがとう」と。他にもゼッケンのせいかはわからないが後ろから通り過ぎていく車の方から「がんばれー」とたくさんの声援をいただく。

75−80 36:57  80キロ計測 2:24:51

 ショッツ投入。ポーチ持参はこれで最後、ここからはエイドのミカンや黒糖、小さなケーキ、お菓子などでゴールまで。

 60キロから80キロの間で順位を88位から66位に 22人抜く

79キロ地点でかーちゃんとばったり。私は気づかずに走りすぎていたが「あれ、とーちゃん」とかーちゃんが気づく。百名ビーチまで歩いてきていてホテルへバス待ちだったそう。想定以上の速いペースに驚いていたがいい写真を撮ってもらいました。

80−85 36:11

 81キロ過ぎ 先ほど抜かれた沖縄のランナーが沿道の仲間からアクエリアスをもらってた。横を走り抜けたがすぐ追いつかれ残っていたアクエリアスを差し出し「飲みますか」と声をかけて頂く。遠慮なしでいただきしばらく並走。2週間前のNAHAマラソンでここを走ったそう。やはり気温26度で25000人の大会で8000人近くがリタイヤしたとのこと。この先はずっと下りでニライカナイ橋の景色は最高ですよと教えてくれた。

82キロの給水で水被りしている間に先行されその後は200mあとを追走。

84キロ過ぎ ニライカナイ橋

 ニライカナイとは、遥か遠い東の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界と言われています。また、 豊穣や生命の源であり、神界でもあるとされています。

最高のロケーションだが結構な勾配の下り坂。84キロ走ってきた脚にはこたえる。写真ストップもしながら快走。

85−90 32:10

 沖縄のランナーは85キロ過ぎに再び地元ラン仲間の私設エイドで休憩、手をあげ横を走り抜ける。11時間切り目指している私にもう余裕はない。

 87キロあたりが知念岬、観光客も大勢いて少し走りにくい。朝は見えなかった海がきれいだ。

90−95 36:55

 コース図の高低表では残り10キロはフラットになっているが実際はずっと坂のよう。ちょっとずつ上っているようだった。

 いよいよつらくなってきた時、95キロ過ぎの第33エイドのスタッフが走って出迎えてくれた。「95キロお疲れ様。後500mで95キロ、エイドがその先にあります。」「その後、97.5キロが最後のエイド、ゴールまでの残りがんばってください」と声をかけてくれた。ぐっとくるほどうれしい言葉でした。95キロのエイドで最後の水被り、後は走り抜けて給水をとりゴールまで。時間を計算すると11時間切りはぎりぎりか?

95−100 35:29

 残り5キロで100キロランナー2人に抜かれる。抜く際にも「残り頑張りましょう」と苦しむ私に声をかけてくれる。22.5キロニライカナイウオークに参加しているカップルランナーも「がんばってください」とエールをくれる。

 最終エイドを通過し少しペースをあげたいがスピードがでない。体が左に傾きまっすぐ走れない。フルベストの横浜の最後もそうだった。持ってる力すべて出し切っているのだろう。

私に気づいたかーちゃんが川の対岸から動画を撮影していた。残り1キロちょっとの地点だが距離がわからず必死に走っている。最後の橋を渡るとゴールの公園入口がすぐだったがその前に信号、まだ間に合いそうだと信号ダッシュで走り抜ける。

公園にはいるとすぐかーちゃんを発見。「いっしょにゴールする?」と聞くが「できん」と断られた。残りの力をふりしぼりゴールへ。

10’58”33  グロス 10’58”20  ネットタイム

総合順位 65位 年代順位 8位


 ゴール前はいつものような心が震えるような感動はなく、11時間切り達成のため必死のRUNだった。ゴールし完走メダル、記録証をいただいてかーちゃんの顔みてからこれまでにないやりきった達成感が湧いてきた。

100キロ、坂ばかりの沖縄100キロを歩かず走り切ったのだ。100キロベストのサロマでもワッカの木陰で10分ほど歩いていた。今回はタイムはサロマに及ばないが、やりきった感、出し切った感はフルベストの横浜に匹敵。

準備、プラン、天候、体調、想像もしていない出会い、援助、エール…。すべてがうまくいった。すべてが最高だった。
 


 
100キロ完走後は完走ランナーに無料配布されるおにぎりとソーキそばをいただいたあと、すぐ着替えてレンタカーを運転しホテルへ。近くのコンビニでご褒美ビールを購入。

 猿人の湯に浸かると股間に刺すような痛み、足の指、肩、脇腹はワセリンたっぷりぬっていたのでよかったが股間もケアしなければいけなかったようだ。ラズベリー湯はしみなかったのでそちらでゆっくり体をいたわった。
夕食は7時30分からだったので部屋でかーちゃんとビールで祝杯!夕食はバイキング、やはりあまり食欲もなく食材は1口分ずついただく。カレーを食べたらのどが痛み出した。失敗だったかも。ダメージのないかーちゃんはケーキバイキングも追加。「幸せ〜」と喜んでいた。


 毎度のことであるがウルトラの後は数日間睡眠障害となる。今回も2時間ほどしか眠れなかった。

 朝食もバイキング。食欲は復活し元気も戻る。ロビーに新聞がないか探したがゆっくり時間がながれる沖縄は当日の新聞はまだおいていなかった。
 
 ホテルをチェックアウトし観光。まずは昨日走ったニライカナイ橋をドライブ。曇っていて昨日ほどではないがかーちゃんも「こんなとこ走ったの」と興奮。沖縄ランナーとの並走の話などしながら知念岬へ。
 
 世界文化遺産の斎場御嶽(せーふぁうたき)へ。琉球王国最高の聖地を参らせていただきました。なかでもサングーイはとても神秘的で、不思議なエネルギーを体に取り込むことができたように感じました。


 
ふたたびニライカナイ橋を通り沖縄平和祈念公園へ。20数万人の尊い人命を奪いさった沖縄の戦火。その事実をありのままに伝え平和の心を世界に届かせようとする”沖縄のこころ“をとても感じることができました。修学旅行の高校生がたくさんいましたが、すべての人が訪れてほしい場所です。

 展示の最後には23年前米兵による事件後に開かれた沖縄集会の写真が飾られていました。子どもが生まれた年の出来事、そして先日の辺野古へ強硬された土砂投入。今も「沖縄を取り戻せ」と叫ぶ戦いが続いています。
その後は首里城へ。100キロ走った後に訪れるには坂も階段もおおくて大変でしたが、琉球王国をふたたび堪能することができました。

 3泊目はコンフォートホテル那覇県庁前へ宿泊。安く済ませるためにダブルベットにしたのは間違いでした(やはり眠れなかった)。那覇市役所、沖縄県庁、国際通りを散策。お勧めの公設市場でサーダーアンダギーを購入。市場では水族館でしか見たことがないくらいのサイズの貝やカニが売られていて、買うと2階のお店で食べることができるとのことでした。すこしグロテスクに思えたので遠慮…。

 夕食は、やざえもんという回転ずしのお店。冬魚3巻やまぐろ3巻などとてもおいしかったです。

 最終日、ホテルの無料朝食をいただいた後、毎日辺野古へ向かうバスが出発するという県民広場へ。たくさんいてお見送りしようかなと思っていたけど、どうも怪しげな人たちが10人程度集まっているだけ、なによりその前の道路を軽自動車に日米国旗、旭日旗つけ大音量でずっと走り回る車がいたからたまらない。通りがかる沖縄の人たち、市役所や県庁に向かう人たちは日常的な光景なのか無反応だったが、これも今の沖縄なんだなと感じました。

 那覇空港12時10分発の飛行機で中部国際空港へ。電車を乗り継ぎ最寄りの駅からは歩いて自宅まで。寒さが体にしみましたが30分ほどで我が家へ到着。

 旅RUN36都道府県目。とても楽しい4日間でした。


【かーちゃんの沖縄旅行】

 私が100キロスタートした5時、ホテルを出発し5〜10キロくらいのコースで応援しようと真っ暗闇の坂を歩く。携帯のナビとライトを頼りに進むが、民家のわき道を案内されたり、「ハブに注意!」の看板があったりとスリル満点。何とか私を見つけることができエールを送ったが1瞬で写真もぼけていた。

 再び歩いてホテルに戻り、バスで平和祈念公園に行こうとしたが、ホテルフロントではバスの路線や時刻がよくわからないとのこと、やっと見つけた時刻表では1時間に1本でうまく乗り継げないこともわかり断念。

 私が50キロのエンドステーションから電話した時はまだ部屋にいました。

 それから歩いて百名ビーチへ。浜辺の茶屋でランチタイム。海が見える絶景のロケーションとサンドイッチに感激。セレブ気分で「ごちそうさま」と店を出ると「お客様、お支払いを」と呼び止められたと…。あやうく沖縄で無銭飲食で捕まるところでした。

 ホテルに戻ろうとバス停で待っていると偶然私が前を走り抜ける。「あれ〜とーちゃん」と声をかけて写真をパチリ。ここは79キロ地点だった。

 ホテルで着替えて今度はゴール会場までRUN。下り坂だったので楽だったが2日後くらいに激しい筋肉痛になったようだ。

 対岸から走っている私を見つけて動画を撮影。ウルトラでよくある最後は家族と手をつないでゴールする…は恥ずかしくてできませんでした。 

 私の激走をとても喜んでいてくれて、2人旅RUNで本当によかったと感じました。


5回目のウルトラマラソン

2013年10月20日 能登すず100キロ 11:34:27

2014年6月29日 サロマ湖100キロ 10:39:01

2016年5月29日 えびす・だいこく100キロ 11:34:49

2017年6月4日 柴又100K 11:24:05

2018年12月16日 おきなわ100キロ 10:58:20

下の写真でリンクが開きます



2013年 能登すず100キロ

2014年 サロマ湖100キロ

2016年 えびす・だいこく100キロ

2017年 柴又100K